大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福岡地方裁判所 昭和35年(ヨ)360号 決定

申請人 三島清成

被申請人 西日本鉄道株式会社

主文

申請人が被申請人に対し雇傭契約上の権利を有する地位を仮に定める。

申請費用は被申請人の負担とする。

(注、無保証)

理由

第一、当事者の申立

申請人は「主文第一、二項同旨」の裁判を、

被申請人は、「本件申請を却下する。申請費用は、申請人の負担とする」との裁判を求めた。

第二、判断の基礎となる事実

当事者間に争いのない事実および疎明資料により認められる事実は次のとおりである。

一、被申請人は肩書地に本店を有し、陸上運輸等を営んでいる株式会社であり、申請人は被申請人会社に期間の定なく雇傭され、被申請人会社北九州営業局到津電車営業所所属の電車運転士として勤務していた。なお申請人は被申請人会社に勤務する社員で組織している西日本鉄道労働組合の組合員であつた。

二、被申請人は、従来その就業規則第八条「社員が業務の正常な維持のため、その所持品の検査を求められたときは、これを拒んではならない」旨の規定に基き、チヤージ防止のため社員の所持品検査を行つて来たが、その一態様として靴の検査(靴を脱がせてその内部を検査)まで従来もなされていたか否かは証拠上明確にし得ないがともかくもそのことについて昭和三五年三月四日北九州支部労使協議会の協議が持たれ、今後所持品検査の一態様としてなす靴の検査は、従来所持品検査の場所として使用されている補導室を板張りに改造し、原則としてその場所で脱靴して従来なされてきた所持品検査を受けるように仕組み、それによつて自然とそこに脱ぎ残される靴についてその内部を検査するという方法を執り、これを同月七日より実施すること等の確認がなされ、右確認事項は同日附組合支部報に掲載されて組合員に周知せしめられたので、申請人もそのことは了知していた。

被申請人は、北九州営業局到津電車営業所においては、従来補導室と称する約二坪の間仕切(上部に波入り透明硝子をはめ込んだ高さ約一・八メートルの板囲いに出入口を設けたもの)を右営業所内に設け、奥に机、椅子各一個を置き、受検者は一人或いは二人と数に制限なく補導室に入り、奥の机の上に自ら帽子ポケツト内の携帯品等を差出し、検査員は右物品を調べると共に、受検者の身体の外部から着衣の上を両手で触れて着衣を検査するという方法で行われていたところ、右確認に基き、とりあえず補導室のコンクリート床上に縦約一・五メートル、横約〇・七五メートル、高さ約七センチメートルの踏板三枚を敷いてその上に机を置き、検査員が一々脱靴を指示しなくても、補導室において、入口から従来どおり受検者が所持品検査を受くるため机の傍に立とうとすれば、自然入口で脱靴せざるを得ないように設備し、靴検査は、受検者が机上に置いて検査の終つた携帯品を再びポケツトに収めている間に靴の中を検査するという方法で所持品検査を行うこととした(以上は男性に関してである)。

三、右方法による所持品検査は同年三月七日乗務員約四〇名に対し行われ、次で同月一一日二二時より二四時三〇分までの間、勤務を終了した申請人を含む乗務員四六名に対して行われた。

申請人は同日の勤務終了直後の二三時過頃、所持品検査を受けるよう指示されて補導室に入つたが、如何なる意図に基くかは別として、その入口にて当時の検査員乗務掛河内孝徳に対し「靴を脱ぐのは断ります」と云つて踏板の上には上らず脱靴検査を拒否しただ前記踏板の上に従来どおり帽子、ポケツト内の携帯品等を差出し、河内検査員はこれに何一つ応答することなくこれまた従来どおり右物品を机上に置きかえて検査し、且つ申請人の身体の外部から着衣の上を両手で触れて着衣の検査を終つたところでそのまま立去つたため靴検査はできなかつた。

四、被申請人は前記申請人の靴検査拒否の行為につき、昭和三五年三月一七日付で出勤停止処分を通告し、ついで同年七月二一日申請人の右行為を就業規則第五八条第三号に該当するものとして申請人に対し懲戒解雇の意思表示をなした。

第三、当裁判所の判断

一、まず、申請人の就業規則八条は憲法一一条一二条一三条三一条三五条の精神をふみにじるものであるから無効であつて、かかる無効な規定に基く所持品検査は許されないから、申請人は所持品検査に応ずべき義務を負わず、従つてまた申請人の脱靴検査拒否は就業規則違反にはならない旨の主張について判断する。申請人の掲げる憲法の基本的人権の保障に関する諸規定は、私人の人権を国家公共団体の権力の侵害から擁護するための規定であつて、私人相互の関係には直接の規整をするものではないから、本件就業規則を以つて直ちに憲法違反により無効となすことはできない。ただ私人の法律行為が憲法の基本的人権の条項の精神に違反する場合においては、民法九〇条のいわゆる公の秩序善良の風俗に反するものとせられる結果、私法上も無効とせらるる原理に照すと、就業規則に定める所持品検査の方法程度が企業維持の目的からみて著しく不合理であり、憲法の人権を保障する精神そのものを否定するようなときには該就業規則の条項を無効とすべきであろう。而して右合理性の基準は社会通念、良識によるほかはないが、本件就業規則八条の規定をみれば、右規定は労働者に所持品検査に応諾すべき義務を設定しているが、その検査方法程度は前記認定のとおりであつて、所持品検査が右方法、程度にとどまるかぎり、これに応諾すべき義務を課せられたからといつて、社会通念上、著しく不合理且人権の尊重に反するものと断ずることを得ない。

然るときは就業規則八条は有効であつて、申請人は前記認定の方法による所持品検査(脱靴検査)に応諾する義務があるものということができる。

二、次に前記認定の脱靴検査拒否の行為が就業規則第五八条三号に規定する「職務上の指示に不当に反抗し、又は越権専断の行為をなし職場の秩序を紊したとき」に該当するかどうかについて判断する。

本件就業規則の第二章服務規律の条項に照すと、右脱靴検査拒否の行為が就業規則第八条に違反することは明らかであるが、この条項違反に対応する制裁規定として第五八条三号が定められたものかどうかをまず、就業規則中の服務規律の規定と第五七条一乃至一四号、第五八条一乃至一三号に規定する懲戒事由との関聯において考えてみよう。服務規律の各条項は大別すると、(1)労働者の就労義務の正常な履行を確保するための規律(2)経営に属する財産を確保するための規律(3)政治活動の制限に関する規律に分類することができ、各懲戒事由はそれぞれこれらの服務規律違背に対応する制裁として位置づけることができる。第五八条三号はその規定の文言、趣旨からみると(1)の就労義務の正常な履行を確保するための服務規律のうち、特に重要な「職務を行うに当り上長の職務上の指示に従い、職責を重んずべき義務」(第四条)すなわち職務秩序に対する違背を特に重要な義務違反として懲戒事由としたものと解せられる。このことは第八条の所持品検査に応ずべき義務は第六条六乃至一〇号等と同様前記(2)の経営に属する財産を確保するための服務規律に属すること、特に第五七条四号、一四号後段、第五八条一〇号の規定の存することによつても明らかである。従つて、第五八条三号は第八条違反に対する制裁として規定されているものではないと考えざるを得ない。

以上のとおり本件就業規則第五八条三号の懲戒事由の趣旨並びに第八条の服務規律の性質を理解するときは、所持品検査の指示を以つて直ちに第五八条三号にいう「職務上の指示」に該当するものとなすことを得ない。

しかもたとえかりに一歩譲つて所持品検査の指示が「職務上の指示」に該当するとしても、かかる検査を拒否することが、「越権専断の行為」に該当しないことは明らかであるし、「不当に反抗して職場の秩序を紊し」且つその情状が懲戒解雇に値するものかについてもにわかに断じ難い。

要するに、本件懲戒解雇は就業規則の適用を誤つたもので無効であるといわなければならない。

三、仮処分の必要性

疏明によれば申請人は被申請人から支払われる賃金を生活の資とし、妻子、養母の四人家族であるところ、本件解雇により被申請人からその就業並びに賃金の支払を拒絶され生活に困窮していることが一応認められる。

四、よつて本件仮処分申請は、理由があるので、保証をたてさせないで、これを認容することとし、訴訟費用の負担については民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり決定する。

(裁判官 中池利男 野田愛子 吉田訓康)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例